君の宝石は絶対に割れない

それでも私は生きていく

生活をしている――読書、あるいはノンバイナリーとして生きている記録

生活をしている。


世の中あちらもこちらも悪化と混迷を極めているけど、私はTwitterを離れて静かに生活をしている。
色々な情勢の影響と自宅でのストレスで抑うつ状態になって頓服薬が増えた。仕事にも支障を来たし始めたので、自宅から一時的に離れて緊急避難できる場所に移った。夜逃げ同然に30分で荷物をまとめて飛び出したので、色々と物が足りないが、限られた状況の中でも生活をしている。

 

文藝2022秋号を買って、髙井ゆと里さんの「舌は真ん中から裂ける」を読んだ。


あえて直接的な表現ではなく書かれたのであろう痛みについての文章を読みながら、ぼんやりと、私は舌の真ん中に穴が空いたまま舌を二つに裂くことも出来ずに、ただうまく回らない舌で周囲から困惑されたり無視されたりしながら生きているんだなぁと思った。この文章が商業誌に載っていることに、自分の命が無視されず存在しているような気がして、私は少し安心している。

 

 

「ノンバイナリ―がわかる本 ―heでもsheでもない、theyたちのこと」を読んだ。

 

この本を買って読んだきっかけは、山内尚さんと吉野靫さんのトークイベント

(アーカイブ販売はこちら↓)

https://bbarchive220604a.peatix.com/

を配信で見て、引用されている以下の文章でこの本の内容に興味を持ったからだ。

”そしてさらに重要なのは、ジェンダークィアであり続けることです。ノンバイナリ―としてカミングアウトした人は、一度カミングアウトしただけでは、自分の正しいジェンダーとして生き始めることはできません。なぜなら、ノンバイナリ―のジェンダーには「パッシング」というものがないからです。ジェンダークィアの人は、常に自分の存在を説明し、正当化し続けなくてはなりません。“

「ノンバイナリ―がわかる本 ―heでもsheでもない、theyたちのこと」144p‐145pより引用

 

これは、私の生活における実感に非常に近いと感じた記述だった。

私は職場で自分が男性でも女性でもないこと、日によって性別が変わることをほぼカミングアウトしている。しているが、それを受け入れている人は少数だ。排除はされない。面と向かって否定もされない。ただ私が男性でも女性でもなく日によって性別が変わることを無視される。何度カミングアウトしても、私のジェンダーは「都合よく忘れられ」、勝手にバイナリ―な性別の箱の中に押し込められる。

対抗策として、職場の私のデスクにレインボーフラッグとノンバイナリ―フラッグとジェンダーフルイドフラッグ(ノンバイナリ―フラッグとジェンダーフルイドフラッグには平易な言葉で私のジェンダーアイデンティティーを説明する言葉を書き入れた)をぶっ刺してみたが、そもそも浮いてるのか何なのか分からないけど私のデスクに近寄る人ってあんまりいなくて、ミスジェンダリングされた時に旗を指さして簡単に説明したこともあったけどそれも無視されました。私の戦いは続く。たまにその果てしなさに途方に暮れるけど、私の人生は続く。

 

観葉植物を育てている。

小さめの多肉植物

緊急避難前は風呂も洗濯も片付けもできていなかったけど、観葉植物の世話だけは何とかできていた。避難先にも持ってきた。多分、可愛がっているのだと思う。

 

 

生活をしている。生きようとも言えないし生きたいとも思えないけど、生活を積み重ねた先に人生が続いているのだと信じるしかない。