君の宝石は絶対に割れない

それでも私は生きていく

ジェンダーフルイド生活記

情報が足りない。

Googleで「ジェンダーフルイド ブログ」で検索してみたら、自分のブログの過去記事がかなり上位にヒットしたことに驚いた。
あとの検索結果は概ね「ジェンダーフルイドとは?多様な性のひとつです!LGBTQ!」的なごく簡単な用語説明の記事と、「ジェンダーレス」の類義語として本来の意味とは離れて使用されるファッション関係の記事ばかり。当事者の語りはあっても片手で数えられるほどだけ。
改めて、ジェンダーフルイド当事者がどうやって自分の性別と折り合いをつけて生活しているのかという、現実の語りがあまりにも少なすぎると愕然とした。※1

なので、ここに私個人がどのように性別と折り合いをつけて生活しているかを記録したい。
以前自分のジェンダーアイデンティティについて触れた記事を書いたら、Twitterで知らん人間から好き勝手言われたのにかなりイラついて、それ以降は自分のSOGIについて書く手が止まっていたのだが、現状のジェンダーフルイドに関する情報の少なさが見過ごせないので書くことにする。
以下を読んで何か自分の話をしたくなった人がいたら、私の文章を引用して何か言った気になるのではなく、ぜひ自分で文章を書いてブログなりなんなりに載せて欲しい。そしたらインターネットでアクセス出来る情報が増えるから私が嬉しい。



【※注意※】以下の文章は私がインターネットに書き残したくて自発的に書いているだけであって、このような個人的な話を開示したくない人も大勢います。当事者のプライベートを不躾に質問責めにするのは大変失礼なのでやめましょう。
また、ここに書かれているのはいち個人の体験であり、全てのジェンダーフルイドについて当てはまる保証はありません。人それぞれである人生の体験の差異を他者のジェンダーアイデンティティの正当性を疑う材料にするのは絶対にやめましょう。



性自認が流動的であることについて】
流動的であることで一番恐れている誤解に対して先手を打っておく。

他の人がどうなのかは知らないが(情報がないので!)、私はジェンダーフルイドだからといって、自分の性自認を意図的にコントロールすることは出来ない。

私は、流動的であることを「選んだ」訳ではない。選べるのなら、揺れ動かない性自認が欲しかった。
性自認が流動的だと、「どのような性別で人生を生きるか」の軸足が非常に定めづらいなと感じている。
私は男女どちらでもないタイプのノンバイナリーに軸足を置いているが、もしかして女性として生きられるんじゃないかという時も、もしかして男性として生きたいんじゃないかという時も、どちらも無理!私はどちらでもない!という時もある。変動する周期は数日の場合も、数週間の場合も、数ヶ月の場合もある。
「男に生まれたかった」と泣いて泣いて身体を痛め付ける日もあれば、「女性」と呼ばれても薄ら笑いで受け流せる日もあるし、どの性別にも帰属意識を持てずに心許なく不安になる日もあるし、ただ渋い顔で黙って現実を飲み下す日もある。
性自認に合わせて身体を変えたいと願う日もあれば、身体に合わせて性自認を変えたいと願う日もあるし、服装や髪型を変えて調節することでしっくり来る日もある。

それらの経験は全て嘘ではない。気の迷いではない。若気の至りではない。その日の気分ではない。ファッション感覚の選択ではない。繰り返すが、自分ではコントロール出来ない。
けれど、男女二元論に強く支配される社会の中では揺れ動く性別は、嘘で気の迷いで若気の至りでその日の気分程度のものでファッション感覚の選択だと思われがちだ。

一貫して突き通せるほど確固として「私はこの性別だ!」という確信があれば、嘘つきだと思われなかったかもしれないのに、とよく苦しくなる。もしかしたら、自分の性別を世の中に信じてもらえないのが一番苦しいのかもしれない。


【カミングアウトと社会から扱われる性別について】
職場での私は髪を短く切ってメンズスーツを着て仕事をする日もあり、そのような装いを受け入れられている一方で、上司からは初対面の客人の前で「彼女」という三人称で呼ばれ、「女性陣はこっちね~」と振り分けられる。

カミングアウトは長年の付き合いでほぼ身内状態になっている上司にのみ何年も前にしたのだが、忘れているのかあまり本気で捉えられていないのか、私が20代と比較的若いのもあって「年齢を重ねるとともに(シスジェンダーに)変わっていくだろう」と思われている節がある。

今の職場は服装自由で、私の服装は日によってだいぶ幅がある。男性寄りの表現をすることもあるし、女性寄りの表現をすることもあるし、その両方を組み合わせることもある。ジャケットやパンツスーツも着るしTシャツとデニムも着るしワンピースも着る。身体のラインを隠すことが多いが出すこともある。
髪は性別への不合感が耐えきれなくなったら自分でザクザク切って、また耐えきれなくなるまでは放置して伸びていくのを繰り返している。
非常に好ましくない状況ではあるのだが、服装のジェンダー表現にだいぶ幅があることが、カミングアウトを本気で受け取られない一因になってしまっている空気を周囲から感じている。

改めてカミングアウトし直す気はない。自分のややこしいジェンダーを説明して受け入れられるとは思えない。排除はしないが配慮もしない、という消極的に無視された空気だが、排除されないだけマシなのだ。
今の職場にたどり着くまでは、働いてはすぐ辞めて次の仕事はなかなか決まらず長らく無職……のループに陥っていた。発達障害による不適応が大きな要因ではあるが、「(男女に振り分けられた)制服が着れない」「(最低限のメイク、オフィスカジュアル、落ち着いた髪色などの)服装規定のある職場がどうしても無理」という理由もあり、求職活動をしていた時期は難航を極めていた。
そんな道のりの末、排除されずに続けられる仕事があるだけで奇跡的なので、現状維持に努めている。どちらかというと諦めに近い。


【身体との折り合いについて】
私は、身体の状態を望む性別に近づけるためのホルモン投与や外科手術などはしていない。今後の人生でどうなるかは分からないが、少なくとも現在は「しない」という選択をしている。

果たして本当に「しない」という選択なのか、「できない」という諦めに追いやられているのかは、正直自分でも判断しかねる。
「したい」という気持ちがあるけど「できない」のか、「したくない」という気持ちがあるから「しない」のか、二つを天秤にかけたところでどちらかにハッキリ分けられるものではない。私にとってはどちらも本当なんだろう。

だから前者と後者をトランスジェンダー/シスジェンダーに二分する論調にはとても居心地が悪くなる。私は身体的移行とそれに伴う社会的移行を経験することはないし、だからといって『多様な女性』の中にも入りきれない。私はきれいに切り分けられる存在ではなく、その中途半端さはどちらの理念にとっても都合が悪い気がしてならない。


【揺らぎ続ける性自認と「ジェンダーアイデンティティ」】
私は生来の性格的に、曖昧なものが苦手だ。白黒ハッキリさせない考え方が不得手だ。だから性自認が曖昧な自分が許せない。許せなくて受け入れられない。許せなくて受け入れられないから、揺らぐたびに精神的に動揺して振り回される。あぁ、また変化した。今度はどれぐらいこの状態が持続するのかな。このままの性自認で変わらずに一生を過ごしたい。

それでも私は、自分の性自認が揺れ動き続けるのをもう嫌というほど知っている。


私には「私は性自認が流動的である」という確固たる確信がある。この先の未来も一貫して揺れ動き続ける確信がある。
それが「ジェンダーフルイド」という「ジェンダーアイデンティティ」なのだ、私にとっては。※2





※1 ここではTwitterの検索結果は含まないものとする。何故なら2022年3月現在のTwitterトランスジェンダーに対する差別的・攻撃的なツイートがあまりにも多すぎるので、私は精神衛生を保つためにTwitterではSOGIに関する検索を一切していないからだ。トランス・ノンバイナリー当事者が安全にアクセス出来る情報源として、Twitter以外の場が必要だと切に感じているので私ははてなブログに書く。

※2 今回は「性自認」と「ジェンダーアイデンティティ」のニュアンスを自分なりに分けて書いた。詳しく説明はしない(私は自分のSOGIを『証明』するために説明し続けるのにもう心底うんざりしている)ので、読み取ってくれるとありがたい。