君の宝石は絶対に割れない

それでも私は生きていく

(トランス)男性宣言

今の私はジェンダーフルイドではなくなった。

 

ジェンダーアイデンティティは一生の中で変化することもあるし、生涯変化しないこともあるし、そのどちらにせよ人為的にコントロールするのは不可能である。

今の自分はジェンダーアイデンティティ流動性がなくなった。本当に、単純に内面だけの話をするのならノンバイナリーというか、「無」だと思う。

 

ただ、私は10月からテストステロン注射を開始し、身体的にも社会的にも男性への性別移行に踏み切っている。このまま女性の島にいたら死んでしまうというところまで追いつめられて、どうせ死ぬならじゃあ死ぬ前にいったん男性の島まで向かってみようと決めた。

今の私は男性という属性に同一感を抱いているし、男性集団に帰属したい、有り体に言えば男性としてパスしたいという志向が強い。傍目からはほぼトランスジェンダー男性と呼んで差し支えないと思う。ので、便宜的にトランス男性を名乗っている。男性として埋没出来る未来があるのかも分からないし、将来的にたどり着いた男性の島で「何か違う」と違和感や孤独感を抱くかもしれない。でも、それは自分にとって今までより遥かにマシな未来に思える。

 

だから、もしかしたら便宜上ではなくしっかりトランス男性なのかもしれない。突き詰めて考えることを今は保留にしている。やってみてその時になったらまた考えればいい。

 

 

今まで私の中にある男性性を忌避し、無視し、否定した人たちへ。私は男性です。男性として生きます。

 

 

ただ変化する身体がここにあり、私はただひたすら風呂に入れない。

身体的な部分も含めた性別移行を決めてテストステロン注射を始めてからそろそろ三ヶ月経つ。ちょっと吐き出させて欲しい。まとまった文章じゃなくて申し訳ないが、今の私は親切丁寧にまとまった文章を書くだけの余力もなければ気力もない。トランスヘイトに利用されないようガチガチに理論武装する元気もない。だからこれは極めて個人的な日記だ。そういう極めて個人的な日記を必要としている人もいるということを含めて、これはただのいち人間の日記だ。

 

 

本題。

これは毎日風呂に入れない自分が100悪いのは前提で言うけど、テストステロン注射を開始してから皮脂分泌量が増えてありとあらゆる場所へニキビの嵐が襲い掛かり、冬の感想も相まって全身が痒くて眠れないほど悶絶している!!!!!

毎日風呂に入れないのは幼少期からなので恐らく発達障害の特性や、現在のメンタルヘルスの不調も手伝っている。私はいつも風呂と戦ってきた。

テストステロン注射でニキビが増えるのは知ってた。予習してた。だからその兆候が来た時も「進〇ゼミでやったところだ!」ぐらいに捉えていたし、洗顔料の種類を変えたり対策はしていた。

しかし私は毎日風呂に入れない。何故かとか聞かれても困る。色々理屈で説明できなくはないものの、じゃあ解決できるかと言われたらそんなもん出来たら苦労してない!!入れないものは入れない!!としか言えない。

そして毎日風呂に入れないことが皮脂分泌量増加によるニキビの嵐とここまで相性が悪いとは想像も想定もしていなかった。今までの身体で「これぐらいならまだ入らなくてもギリ大丈夫」の期間が全く通用しない。全身が痒くてつらくて眠れないなんていつぶりだろう。

私は今ほとんど引きこもりに近い生活をしているから、まだ社会的な支障は出ていない。外出する直前に頑張ってなんとか風呂に入ればいいだけだから。しかし今後定期的に勤めに外へ出なければならなくなった時、この身体ではもはや毎日風呂に入るのは社会で生きていくための絶対の義務にすら感じる。

ここに私のジェンダーアイデンティティなんて一切関係ない。ただ皮脂分泌量による肌の状態だけがそこにある。ただニキビと乾燥による痒みだけがそこにある。『身体の性別』なんてシスジェンダー向けに忖度した説明は存在しない。変化していく身体がただそこにあるだけだ。

 

悶絶してこんな文章を書き殴りながらも、私はまだ風呂に入れない。理屈じゃない。入れないものは入れない。そして、これから就労まであと三ヶ月の猶予期間を使って意地でも入れるようにするしかない。

幸いなことに、一度生活のルーティンに組み込んでしまえば毎日の入浴は決して無理な課題ではないと、経験上知っている。しかしそれが一番難しいんだよ。

痒い。乾燥する。眠れない。

 

私からのお話はこれで終了です。ご清聴ありがとうございました。

テストステロン注射直前の記録

これは誰のためでもない記録の文章だ。読みづらい悪文でしかないと思う。それでも書き記しておく。

 

端的に言うと、今日からテストステロン注射を受けることにした。数時間後には病院に行く。今まで騙し騙し生きてきたが、性別違和が限界まで来ていた。このままこの身体でこの性別で生きるのはもう無理で、死ぬしかないと思った。本気でそう思った。どうせ死ぬならせめて死ぬ前に好きにしようと決めた。今の私は、既に決まっている次の就職まで半年の猶予期間が与えられている。最後のチャンスだと思った。この半年を使って、ホルモン注射を始めた最初の一番つらくてしんどい時期を社会的に閉じこもってさっさと済ませようと思った。私は自分の身体がテストステロンの強さに耐えられる自信はない。ホルモンバランスが乱れたまま社会性を保つ自信はない。けれど、耐えられなかったとしても、いったん外の世界を遮断した状態でなら乗り切れると思った。お金はない。貯金を崩すことにした。ホルモン治療のために貯金を崩せば崩すほど胸オペが遠ざかるというジレンマに苛まれながらも、私はもうこのまま女性としての人生を送るのは無理だった。相変わらずバイナリーなジェンダーアイデンティティなどない。流動性が無くなってきたのはここ数年の大きな変化だけれど、ジェンダーアイデンティティはずっとノンバイナリーなまま固定されている。でも、生き延びるためには男性としての人生に舵を切らなければならないと突き付けられていた。男性としてなら何とか今よりも生きられるかもしれない。生き延びるための性別移行が始まる。細かいことは後から考えればいい。私は、男性として生きるために生きる。

 

「君の宝石は絶対に割れない」という名前でブログを始めた。今思えばそれは、あまりにも稚拙で無謀な祈りだった。

私の宝石は、いったん粉々に砕けた。完膚なきまでに破壊された。それでも、砕け散った宝石の欠片を拾い集めて生きていく。そうするしかないからそうする。そうするしかなかったんだよ。

 

マストドン作りました

お久しぶりです。もう覚えてる方がいらっしゃるか分かりませんが、むらさきです。

 

マストドンにアカウントを作りました。

むらさき (@murasa_ki333@mstdn.jp)

 https://mstdn.jp/@murasa_ki333

 

Twitterのアカウントを消してからの私というものは非常に保守的になっていて、性別移行が自分には叶わないことも嫌ってほど痛感したので、それなら割り切って女性のフリをして女社会に溶け込んでやろうじゃないかと淡々とミスジェンダリングを我慢して過ごしていたのですが、やはり精神が不安定になるとどうしてもつらくなってしまい、衝動的にマストドンのアカウントを作っていました。

性別にまつわる苦しみが耐えきれなくなったら吐き出しに来る予定です。いつまで続くかは未定です。すぐ放置するかもしれないしある日突然消えてるかもしれない。

 

今の私はだいぶ変化していて、もうみなさんの知ってるむらさきではないかと思いますが、それでもよろしければ遊びに来てください。

 

 

【短歌七首/再録】むらさきの薔薇が咲いたら起きるかもしれない奇跡待つより燃やせ

Twitterでつぶやいた短歌から厳選して再録します。消えてしまわないログとして。

 

 

むらさきの薔薇が咲いたら起きるかもしれない奇跡待つより燃やせ

 

理詰めなら許されるとか思うなよ鳥の絵も描いたことないくせに

 

背も伸びた髪も切ったよなのにまだ追いつけなくて夢から覚める

 

苦笑いしても空は灰色だしいっそこのまま終わってしまえ

 

四度目の嘘をついても終わらない明日も朝が来て水を飲む

 

永遠はどこにもないよ秒針もいつかは終わる地層になって

 

忘れてもいいよ許せないのなら捨てていけ花が咲かなくたって

 

 

 

Twitterは触る気ありませんが、またブログはたまに更新したいです。

その行動の主体者は誰だ?

 とあるデモからの帰り道、ふと自分が「やるべきことをやっている」と思っていると自覚し、すぐにその危険さに気付いて思い直した。

 本当は「やるべきこと」なんて何もなくて、全部その人がやりたいからやってるのだと。

 これは「どっちもどっち」とか中立のつもりで権力側に阿るノンポリ自己責任論みたいなことが言いたいのではなく、主体者は誰なのかという話をしている。

 主体者が自分ではない行為を長く続けるのは難しい。社会運動と生活のバランスが取れずに燃え尽きて崩れがちな人が散見されるのは、主体者が自分ではない状態で活動を行っているからではないのか。

 

 主体者は自分だ。あなたがやりたくてやってることなら誰にも止められないが、「周囲がやってるからやった方がいいんじゃないか」という感覚でやっているなら、一度立ち止まって考えて欲しい。デモに行くこと、本を読み学ぶこと、ハッシュタグアクティビズムに参加すること、差別的な行いをする著名人の書籍やCDを買わないこと、Twitterのbioにトランスフラッグの絵文字を添えること。

 

 主体者は誰なのか。それを明確にしないと、今まさに抗おうとしている大きなものにいともたやすく飲み込まれてしまう。あの日、デモからの帰り道を歩く私は、大きなものに飲み込まれてかけていた。それは本末転倒なのではないか。

 

 私は全部、やりたくてやってるんだよ。やりたくないことはやりたくないからやってないんだよ。誰かにやらされているのではない。誰かにやめさせられているのではない。私の人生の主体者は常に私だ。

変化していく日々ーーいちじくとシルバニアの休日

今の仕事に就き始めてから、ありがたいことに精神的に安定した日々が続いている。

しかし、生活の中で仕事の比重がどんどん大きくなるにつれて、今までは好きだった趣味への関心が薄まり、気力も平日の仕事に持っていかれて、休日にやることがない。

週二日丸々やることがないというのはけっこうな虚無だ。一日中ダラダラインターネットをしても自分が満足してるならそれでいいが、私は日中やることがなさすぎると昼過ぎぐらいからずっと気持ちが落ち込んでしまう。また、時間があってやることがないと考えたくないことばかり考えてしまい、とにかく精神的に良くない。あと多分肉体の健康にも良くない。

 

なので、休日を充実させるように試みてみた。

以下は今週の休日の記録です。



買い物に出かけた

色々考えた末に、シルバニアのお人形をお迎えすることにした。

休日一日目に電車に乗ってトイザらスまで行ってきた。超久々に入店して気付いた。

トイザらス、最高!!!!えっ、なにこの空間、楽し~~~~!!!!

楽しそうなおもちゃがいっぱいあって心が高鳴った。ときめきが止まらない。しかも今は大人だから、きらきらのおもちゃたちがちょっと頑張れば買える値段なのが興奮に拍車をかける。子ども連れの邪魔にならないように配慮しつつ、しっかりウインドウショッピングを楽しんだ。

目的のシルバニアコーナーに足を運び、長考に長考の末にひとりだけお迎えした。実は家には既に別の店でお迎えした子がひとり待ってるので、ふたり目だ。仲間が増えたね。

また行きたいな、トイザらス

 

帰りにそのまま近くの雑貨屋さんなどを見て回り、自宅用のスマホスタンドと職場用のクッション付きマウスパッドを買った。実用的なものも必要。




いちじくを食べた

YouTubeVLOGなんかを見ていると、今やたらいちじくにはちみつとチーズと黒コショウをかけて食べている人を見かける。何?流行ってる?

ということで、食べてみた。いちじく自体は子どもの頃に一度だけ食べたことはあるが、全く味覚の記憶が残っておらず、どんな味なのか少し興味があった。

スーパーに行きいちじくを買う、髙い!!果物って高い!!給料日直後じゃないと買うのを躊躇う値段。あとはちみつと、ついでにプレーンヨーグルトやバニラアイスも一緒に買ってみた。

家に帰り、いったん冷蔵庫に入れてよく冷やす。いちじくは冷やした方が美味しいとの記述をどこかで見かけたので冷えるまで我慢。チーズを買い忘れてたことに気付き、コンビニに走りチーズを調達。

翌朝、いちじくとともにチーズを加熱してとろけさせて、はちみつをかけて実食(黒コショウはなかった)。

うま!!!!!贅沢なおやつ!!!!!

前日の夜に我慢できずにいったん冷やしたものを生で食べてみたのだが、正直いちじくは生より調理した方が美味しい気がする。

休日の午前中はいつも、無糖のコーヒーにミルクをたっぷり入れた飲み物を用意してのんびり過ごすのが習慣だ。そこにいちじくはちみつチーズ。一気に優雅になってしまった。楽しい。

午後のおやつには、バニラアイスを添えて食べた。

うま!!!!!!!感動した!!!!!



当たり前に変化していく

巷ではなんとなく『丁寧な生活』を揶揄する空気があったりするけど、丁寧な生活っぽいことをやってみるのは意外と楽しい。というか、仕事が忙しくて無趣味状態だと、休日に家にいても生活を丁寧にするぐらいしかやることがなくなってくる。

ペットボトル飲料ではなく自分でドリップコーヒーを淹れてミルクと混ぜたり、ちょっと凝ったおやつを用意して食べたり、部屋の一角をかわいいものを置くスペースにしてみたり、最近はそういうこと自体がゆるやかな趣味になってきた。強烈に熱を上げて傾倒するだけが趣味ではない。

 

それを「大人になった」と捉えるか「つまらなくなった」と捉えるかは人によって違うだろう。私は今の私をただ、「変化したなぁ」と思う。人は変化していく。自分も他人も、当たり前に変化していく。

 

そういう風に暮らしています。