君の宝石は絶対に割れない

それでも私は生きていく

デタラメだらけの物語が持つ力――2021年電少WWW感想

2021年の電少WWWが最高だったので感想を書きます!!電影と少年CQを好きでいて良かった!!

https://twitcasting.tv/c:flowentertainment/shopcart/109812

※2021年11月4日に行われた電影と少年CQ単独公演、電少WWWのネタバレを含みます。









電少は曲の合間に劇を挟む形で毎公演ひとつの物語が描かれ、二人が演じる役はフランケンシュタインの兄妹だったり魔女だったりシンデレラに逃げられた王子様だったりかぐや姫と竹取の翁だったりと本当に様々なんですが、5周年の節目となる今回の電少WWWでは「電影と少年CQ」をメタ的に解体した物語で、今回もすごく惹き込まれた。毎回脚本を書かれている長田左右吉さんは本当にすごいと思う。

分かりやすい展開に安心したい観客の期待をあえて無視するかのように、物語は二転三転する。二人は安易な慰めと無責任な希望を拒み、美しい悲劇への耽溺を拒む。
ニセモノ、デタラメ、嘘だらけ。映画はフィクション。ありもしない出来事を描いて記録する、未来への推進力。ニセモノとしてのプライド、私たちは主人公。35ミリフィルムに描かれたデタラメの世界は、今を生きている本物の人間が死んでも記録として残り続ける。それは映画、複製芸術。
そういう、フィクションの持つ力を描いた物語だった。


めまぐるしく切り替わる映画の場面のように、色とりどりのスポットライトに照らされてたくさんの曲で歌って踊るゆっきゅんとルアンちゃんは本当にきれいで……どこを切り取ってもきれいで……でも切り取りたくなくて、全ての流れを目に焼き付けて楽しみたくて……

電少は毎回劇の内容に合わせたセトリが組まれていて、いつもの曲も劇とセトリによってまた違う表情になるのがすごく痺れるんですが、今回も痺れた。ここでこの曲が来るか!って感動。
今回は「カデナ」がぴったりのタイミングで挟まれていたのが印象的だった。私は「カデナ」は闇のIDOL SONGだと思っているので、劇中の二人がどう足掻いてもニセモノのアンドロイドであることを突きつけられるタイミングで歌われたのがグッと来ました……
ソロ曲が入ってたのも良かった。行き止まりの展開の突破口となる形で二人のソロ曲が入ってて、お互いソロでの飛翔を経て電少としてパワーアップしたのが表れていて、今だからこそ出来る電影と少年CQ……
それにしてもあの流れでDIVA MEが来た時は「伏線回収」「満を持して登場」感が高まりまくって笑顔になりました。DIVA MEは笑顔になれる。


配信リリースされたばかりの、まさに電少の世界を表した壮大な曲「Nov.Ultra」
今までの電少とひと味違う大人でこなれた新曲「King Kong Doing」
花束と笑顔で舞台を締め括る曲「E.T.weekend」

等々盛りだくさんで大満足でした。アーカイブも二週間あるので、全貌はその目でチェックしてくれよな!

https://twitcasting.tv/c:flowentertainment/shopcart/109812



電少はゆっきゅんとルアンちゃんが持つ個々の魅力ももちろんのこと、演者の魅力に加えて脚本の魅力、楽曲の魅力、振り付けの魅力、衣装やヘアメイクの魅力、音響や背景の映像やライティングの魅力、配信カメラの魅力、等が全部全部全部掛け合わされて大爆発してひとつの「作品」になっていると見るたびに感じます。いつも素敵な世界を楽しませて下さって、関わっている全ての皆様本当にありがとうございます。
最後の二人のMCも感慨深かったです。



夢、絶対叶うよ。
だから夢を叶えるその姿を見届けさせて下さい。

水のまま生きたい――説明して納得してもらうためではない、流動的な自分を受け入れるための自分だけの言葉

「確固たる自我」がないことに、割と長らく思い悩んでいた。

子どもの頃から今現在まで一貫したアイデンティティなど何一つない。私は流動的で、ずっと同じ状態ではいられなくて、そんな自分がいつまで経っても未成熟に感じて心許なかった。
自己が水のように流れていく。ああなりたい、こうなりたいと四方八方に目を向けては、はみ出る、揺らぐ、拡散していく。一つの型の中に収まれない。
いつになったら私は完成するのだろう?
いつになったら液状ではなく固形物になれるのだろう?


そんな悩みの最中、近年の田島ハルコさんの活動を知って「こんな表現をしている人がいるのか」と、すごく驚いた。

田島ハルコ/ECCENTRIC青年BOY(MV)
https://youtu.be/VcGG1xS35_U

アーティスト・田島ハルコ、その流動的な魂の表現――“わかりやすさ”に抗い“カオス”を曝け出すこと
https://tokion.jp/2021/05/27/haruko-tajima-fluid-emanation-of-soul/

性別わからん宣言♪|田島ハルコ
https://note.com/dokusya_model/n/nd728990750c7

液状の自我を無理矢理固形にする必要って、実はないんだ……という衝撃が大きかった。流動的なままで、揺らぎ続けるままで『自分』として生きていけるのだと、ここまでハッキリ体現している人に初めて出会ったかもしれない。
そして、ジェンダーアイデンティティを含めた流動的で常に移り変わりゆく自我を、他者に説明して納得してもらうため『ではない』、自分の言葉や装いで表現しているところにもまた驚いた。

「福音と世界2021年10月号(特集=身体(からだ)再考) 」
https://shinkyopublishingco.stores.jp/items/6131b114a102752cf956e812
に寄稿された文章も、あえてコンテクストを説明しない、分かる人だけか分かるように書かれたある種の暗号的な雰囲気が散りばめられていた。
私はつい最近田島ハルコさんを知ったばかりの者なので、正直なところこの文章は初見ではピンと来ない部分も多かったのだが、「分かりたい」「分かりそう」という気持ちは強かったので、田島ハルコさんの過去の作品を遡ったり検索して出てくる記事を漁ったりしてから何度も読み返している。最初よりは少し文章の中に散りばめられたものが掴めてきた、気がする。

こうやって『「分かる」もしくは「分かりそう」「分かりたい」と思った人だけが残る仕掛け』の文章を読んで、何もかもを全員に分かりやすく説明する必要はないし、ましてや全員に納得してもらう必要もないんだなぁと思った。

私はありがたいことに「言語化が得意」と人に褒めていただけることが多い(恐縮……)(照……)。
それが常に脈絡のない理不尽の頻発する環境で生き延びるために、己の身に起きた訳の分からない出来事を多くの人が理解できる言葉にして伝えることを迫られたゆえの副次的な能力だとしても、「目に見えない抽象的なものを言葉にして伝える」という技術は今も生きていく上でだいぶ私を助けてくれている。

しかし――しかし最近は、他者に納得してもらうための『説明』をすることにどんどんうんざりしている。
分かりやすい説明を他者に要求する前に自分で調べて自分で考えてくれよ。私は誰も説明してくれなかったから自分で調べて自分で考えて自分で言葉を編むしかなくて、こんな偏執説明マニア状態になったんだぞ。という恨みがましさと、他者に説明するための、大勢に納得されやすい定型文に閉じ込められている。という閉塞感。
特にジェンダーアイデンティティについては、常に正しい言葉で分かりやすく説明しなければならないような圧を世のそこかしこから感じている。
もちろん「正しい言葉で分かりやすく説明する」ことが求められる場面も、残念なことにまだまだたくさんある。成し遂げたい目的によっては、正しさや分かりやすさは戦略的にも倫理的にも必要だろう。

けど、私はもう自分のジェンダーアイデンティティを説明したくないし、説明するための文章は書きたくない。
今の私には、説明して納得してもらうため『ではない』言葉が必要だ。誰かに認められるためではない、自分で自分を受け入れるための言葉が。

だから田島ハルコさんが、現在のご自身をTwitterのbioで「姫に生まれしKING」と表しているのを見て、「そういう表現もあるのか!」と感動した。
「男or女orその他」から選ばされるのではない、誰かに説明するためではない、自由記入の自分だけの表現。そうか、そうやって表現してもいいんだ。KINGか……え~~メチャかっこいいじゃん。こういうのこういうの、こういうのを私も見つけたい。


ところで、2021年10月20日にKINGである田島ハルコさんとコラボするDIVA、ゆっきゅんをご存じだろうか。
【追記】
「KING DIVA」配信開始!!
https://linkco.re/MvCYEQ2b

【さらに追記】
田島ハルコ - KING DIVA feat.ゆっきゅん(MV)
https://youtu.be/x5RsWRm7n9k

ゆっきゅんは電影と少年CQというユニットでアイドルをしていたり、セルフプロデュースでDIVA Projectというソロ活動をしていたり、歌ったり踊ったりする他にも文章を書いたりトークイベントで喋ったり雑誌を創刊して編集長をしたり、とにかく色々な面白いことをたくさんやっている人です。

ゆっきゅんの詳細について興味のある方は各々ご自分で調べてもらうとして、ここからは2021年10月15日にwezzyにて行われた、ゆっきゅんと文筆家の牧村朝子さんによるオンライン対談イベント「てか戦ってると思われたくなさすぎる」の話に少し触れたい。

牧村朝子×ゆっきゅんオンライン対談「てか戦ってると思われたくなさすぎる」チケット発売開始!
https://wezz-y.com/archives/93528
(※イベントは既に終了していますが、後日アーカイブ販売予定らしいです。)

途中休憩も挟んで約二時間。あらかじめ『正解』を用意することはしない牧村さんとゆっきゅんの対談は、コメントで参加する視聴者たちとともに丁寧に積み重ねられ、まだ知らなかったゆっきゅんの一面も知れて新鮮で面白かった。
終盤、牧村さんがゆっきゅんのことを「ゆっきゅんは水なんだね」と形容した。常に動いていて、川のように一方向でなく、広がるように流れ続ける。一ヶ所に留まらないから掴めない。色んな方向に広がって色んなものに触れている。だからさみしくない。

その例えを聞いて、私がゆっきゅんを好きな理由の一つに改めて触れることが出来た。
私は本当は水なのに、頑張ってゼリーになろうとしているからこんなに苦しいのかもしれない。だから、水のままで生きているゆっきゅんにこんなに魅力を感じるのかもしれない。

また、ここでも「定型文で喋らされたくない」という話が出てきた。
ゆっきゅんも牧村朝子さんも、定型文で分かりやすく説明させられるのを拒んで、自分の言葉で表現をする人だ。
ゼリーの金型に収まればたくさんの商品の中に加われるけれど、自由な水のままで広がり流れ続けて、外側から貼られる値札(カテゴリ)を拒絶する人。そんな人に私は心惹かれて止まない。

流動的であることは未成熟な証ではない。変化し続ける自己は柔軟とも言える。「確固たる自我」は最終的な結果でしかなく、生きていく上で早めに手に入れなければいけないものではない。

私は、水のまま生きてもいいのかもしれない。



※本稿は筆者の個人的な悩みとそれを解きほぐす過程で出会った表現者たちに焦点を当てたが、インターネットの爆発的な普及により、過剰な一貫性を自他に求めるようになった結果として「確固たる自我」を探して血眼で彷徨う人が大量に増えたという側面も無視できない。私は何故、ゼリーにならなければいけないと思い詰めて自分が入れる金型を探し続けていたのか。誰に、何に「自分探しをさせられていた」のか。「あなたらしい個性を生かす、オリジナルの金型がありますよ!」と謳って金儲けするのは誰なのか。そこも気が向いたらまた書きたい。もしくは詳しい人に書いて欲しい。

SNS乱世において心の秘匿性を保つ

「文章を書こうとする時、人生を切り売りする者より技術を切り売りする者の方が上手くいく」……みたいな言葉を遥か昔、どこかのインターネットで目にした。
検索しても出てこなかった誰の言葉かも分からないその一文が妙に記憶に残っているのは、私が人生を切り売りするような文章を書きがちだからだ。

私が文章を書く時はだいたい「言いたいことが!あるんだよ!」と強い執念に突き動かされており、そこから個人的な感情や体験を取り除くのが非常に難しく、また取り除くべきとも思っていない。
自分で書く以前に、いち読者として読むのも私的な文章が好きだ。ZINEや同人誌が好きなのも、極めて個人的な感情や体験が商業的なフィルターによって濾過されずに、生身の熱を持って綴られているからだ。私には私の人生しか生きられないからこそ、他の人たちがそれぞれの人生をそれぞれに生きている軌跡の一端に心惹かれて止まない。


ところで私はツイートが伸びたりフォロワーが増えたりすると、一人で「心の秘匿性」と繰り返し自分に言い聞かせる。
これは完全にあり得ない独自懸念なのは分かっているのだが、どうにも昔から自他の境界線が曖昧かつ過干渉な環境で育ったせいか、「私が頭の中で考えていることは全てバレている」という不安にうっすらと覆われて生きている。そんなことはあり得ない。しかしこれだけ四六時中SNSに囲まれて、人々があらゆるものを全世界にシェアするのが当たり前の生活をしていると、全てが常に他者の目に晒されていて、内心の自由にまで侵襲されるかのような錯覚にたびたび陥る。

境界線がぼやけて溶けて私以外の何かに内心にまで侵入されそうになった時に、私は心の秘匿性を確保する時間を作るようにしている。
具体的には、SNSに書かないことをする。読んだ本のタイトルや感想を誰にも言わない。YouTubeで観た動画の内容を誰にも教えない。まだ形にならない感情や思考を誰にも伝えない。心の中に、誰も入れないスペースを作る。そうやって、意識的に自他の境界線をはっきりと引き直す。
しばらくして心の中をある程度出してもいいなと思える状態に落ち着いたら、読んだ本の感想なり何なりSNSに書いてもいい。でも別に書かなくてもいい。

大事なのは、誰に何をどこまで伝えたいのかを見極めることだと思っている。


昔、大好きな人から自分の出した同人誌の感想をいただいて、その内容に感動したことがある。今までは「何を伝えたいか」にばかり心を砕いていたが、その方は私が全く自覚していなかった「誰に伝えたいか」をその方なりに読み取って言葉にしてくれた。誇張ではなく世界の見方が広がった。本当に感謝しているし尊敬している。
それからは文章を書いた時、「誰に伝えたいか」を意識して考えてインターネットに載せるか載せないかを判断している。


あなたが書いているその文章は、誰に伝えたいことですか?
それとも誰にも伝えたくないことですか?
もしくは特定の誰かにだけ伝えたいことですか?


SNS乱世において心の秘匿性を保つため、送信ボタンを押す前に、一人きりで自問自答する時間を大事にしたい。誰にも共有しない私だけの孤独は本来とても尊くて、私の心を守ってくれるから。

夢みたいな景色を浮かべて書き留めるセラピー

心を落ち着かせるために、夢みたいな景色を思い浮かべて書き留める。ただの空想的なセラピーの日記だ。


ふわふわのシフォンケーキとたっぷりのカフェオレ、世界一愛している友人と二人きりの空間。向かい合って座っておしゃべりするのもいいし、ソファに二人並んで座って肩を寄せ合ってスマホを見ながらぽつぽつとどうでもいい会話をするのもいい。今朝見た夢とか、最近の天気とか、買い物に行ったら美味しそうな新商品を買ったとか、ソシャゲのガチャを回したら来てくれたキャラクターとか、そういう話かな。LINEじゃなくて直接会いたいよ。


あるいは人のいない静かで穏やかな海辺。夜の海は怖いから朝か昼間か夕方がいい。テトラポットは怖いから砂浜がいい。流木とも言えない小枝や不格好に欠けた貝殻が落ちている砂浜を、スニーカーで踏みしめる感触。波の音は常に一定の感覚で、心臓の音みたいだ。もしも私の命が尽きる時は海に還りたいとずっと願っている。


灯りを落とした部屋に吊るされた薔薇のドライフラワーとレースのカーテンからこぼれる日光。青い砂時計。アンティークなデザインのアナログ時計。常に同じ動きをし続ける秒針に安心する。決まった秩序の元に動いているから。ぐるぐる回るものが好き。赤ちゃんのベッドの上に吊るす、メリーゴーランドみたいなおもちゃとか。


夜はふわふわの毛布に包まれる。ふわふわのパジャマ、ふわふわのルームソックス、かつて恋をしていた人と二人で行った水族館で買った、ペンギンのぬいぐるみと添い寝する。クナイプのネロリのハンドクリームは正直バズってたほどの良さは分からないけど、なんとなく落ち着くからたまに手や鼻の下に塗ってから寝てる。波の音は海からではなく、この文章を書いているスマホのヒーリングサウンドアプリから流れてくる。私は今、自分の部屋の布団の中だ。


夢みたいな景色を羅列していたら、いつの間にか現実の景色に戻ってきていた。セラピーは成功のようだ。不安に対処する頓服も効いてきた。次は夢の中だね、おやすみなさい。

ノンバイナリー(ジェンダーフルイド)の私と、服を選ぶ悲喜こもごも

服が着たい。服が欲しい。服を選ぶのが好きだ。服を着たくない。どんな服を着ればいいのか分からない。どんな服もしっくりこない。服を選ぶのが嫌いだ。

私はファッションに関心があり、服を選んで着る行為を楽しんでいる。それと同時に、朝出かける前に服を選ぶのが苦しくて、どんな服を選べば人前に出てみじめさを感じなくなるのか未だに分からない。


私が服を選んで着るという行為を愛しつつも趣味のそれではない種類の葛藤を抱えていることと、私がノンバイナリーを軸足に置いたジェンダーフルイド(gender fluid)であること、表現したいジェンダー(Gender Expression)が流動的であることは決して無関係ではないと思っている。

私は自分の表現したいジェンダーがいかに流動的で移り変わりやすいかをよく知ってるため、その時表現したいジェンダーにすぐ対応できるように、色んな系統の服がたくさんある。何年も着ていない服でも、ある日突然「これだ!!」としっくりきてヘビロテで着まくることがあるので、全く服が捨てられない。
どれをどう組み合わせて着ればいいのか、楽しく悩む時もあるし、苦しく悩む時もある。私の場合、後者にはほぼ必ず性別違和が絡んでいる。


朝、パジャマを脱いで服を選ぶ。あれでもない、これでもない。どれをどう組み合わせれば、私は私の身体を一番「しっくりくる」ものとして受け止められるのか。

私は現在、ホルモン療法や外科的手術を望まないで、代わりに髪型や衣服によって「調整」をすることで日々揺らぐ己の性別と折り合いをつけて生活している。※1
でも、「調整」が上手くいかない日もある。これを着たら男性ジェンダーに寄りすぎてしまう、かといってこっちを着たら女性ジェンダーに寄りすぎてしまう。組み合わせたら上手い具合に中和されないだろうか。あるいはもっと派手なものを着れば存在感によって性別を掻き消せるのか。あ~~、こんなに服があるのに服が足りない!!

何をどう着れば、私は男でも女でもない姿になれるんだろう。家を出なければならない時間だけが刻々と迫り、散乱した服の中で下着姿で泣くみじめさが、ノンバイナリージェンダーの存在そのものを否定する人たちには伝わるだろうか。

かっちりとした襟つきシャツにジャケットにパンツを合わせて、かっこよくキメた自分の姿に朝は「しっくりきて」も、電車でスーツ姿のシュッとした体型のサラリーマンとかに隣に座られると、途端に自分がみじめでみっともなくて今すぐ家に帰りたくなる。
黒と白のスラッとしたかわいいロング丈ワンピースを着て「しっくりきた」日でも、駅の鏡に映る自分が自分ではない女に見えてきて気持ち悪い違和感を抱いてしまう。何を着てもしっくりくるようでしっくりこない。私は男でも女でもないのに。

苦しい、悩ましい、どうすればいいんだ。

けど、それでも私はどうやらファッションが好きらしいと、最近になってようやく自覚した。お気に入りのコーディネートを写真に撮って、友人とLINEで送り合うぐらいには、服を選んで着ることを楽しんでいる。
欲しい服は常にたくさんある。考えて、選んで、買って、着て、とてもワクワクして心が踊る。私の飽くなき服への欲望は、決して苦しみのみで構成されてはいない。


多分、この悩みに出口はない。私の性別が移り変わり続ける限り、答えはその時々で常に移り変わる。その時の自分にとっての最適解を探す旅は、もしかしたら一生続くかもしれない。

せめて願わくは、着道楽と流動的なジェンダーアイデンティティについての物語や私的な語りがもっともっと聞きたい。私にはそれが必要だ。他にもその語りをを必要としている人がきっとどこかにいるだろうから、一例としてこうして一人の存在を記しておくことにして、文章を締めようと思う。


あなたがあなたを苦しめない服を着て生きられますように。



※1:そういう面では、私はシスジェンダーともトランスジェンダーとも微妙に異なる体験・生活をしているので、シス/トランスのどちらにもアイデンティファイ出来ないし、シス/トランスの単純化された二元論も受け入れられない。シスジェンダートランスジェンダーの境目を揺らぎながら漂う所在のなさ。誰にも「男でも女でもない」存在を信じてもらえない心許なさ。ノンバイナリーとしてそれらを主張すること自体が、今まさに差別者からの心ない攻撃に晒されながらも必死に抵抗し生き延びているバイナリートランスたちの足を引っ張るのではないかという躊躇がある。けれども私は広い範囲で、トランスジェンダーとともに連帯したい。

私のためだけの私の手

昔からずっと、何故か手のひらがあたたかい。

子どもの頃、母が通っていた個人経営の気功療法のセラピストに「この子は才能がある」と言われたほど、私の手のひらはあたたかい。
子育てに疲れ果てた母の肩や背中に手を当てるだけで、あたたかくて気持ちいいとありがたがられ、「○○はマッサージ師になれるよ」とよく言われた。
当時読んでいた漫画の主人公は「太陽の手」と呼ばれるあたたかい手を持ったパン職人で、作中によると手があたたかいとパンを捏ねる時に何か良い作用があるらしい。真偽のほどは不明だ。

私は気を送るとか言われてもよく分からなかったし、自分が接客業に向いてないことは子どもながらに察していたし、別にパンを作りたくもなかったので、そのどれも選ばなかった。今もよく知らない他人の身体にむやみやたらと触れることは恐ろしいと感じるし、調理の仕事は絶対無理だから、そのような職業を選ぶつもりはない。

だが、もったいないなとはずっと思っていた。何もしてなくても手のひらがやたらあたたかいという謎の長所、生かせる場面があったらいいのに。自分の持つ何かしらの力を他者や社会のために役立てないといけない、という固定観念が私にはずっとあった。


最近になって、この「手当て」が自分自身にもすこぶる効くことに気が付いた。私のあたたかい手のひらを自分の身体のどこかに当てると、薄手の服の上からでもじんわりと心地よい熱が伝わり、広がり、不安で荒れていた心が凪いでいく。
どのぐらい効いたかと言うと、メンタルが限界に近かった今日は「手当て」をすることで久しぶりにインナーチャイルドが出現した。あの頃の私が欲しかった言葉をかけてあげる。
「大丈夫だよ、大人になったら安全な場所で暮らせるようになるからね」
ドバッと涙が出てきて自分でもビックリした。心のどこかが少しだけ癒されたことは分かった。


なんか、それでいいんだなと腑に落ちた。別に、私の手を誰かのために役立てる必要はない。私の手は、私自身をケアするためだけに使ったっていいのだ。
私の身体は私のもので、私の手は私のものなんだから。

そう考えたら、自分のあたたかい手のひらが少し誇らしく思えた。

メンタルヘルスに不調を抱えがちな者達が秋冬を乗り越える備忘録

メンタルヘルスに不調を抱えがちな皆さーん、体調はいかがですか?ここ最近、理由は分からないけど謎の不安や落ち込みに襲われがちになっていませんか?
それ、実は季節のせいかもしれません。私の周りを見ていても、心身ともに季節の変わり目に体調を崩す人というのはとても多い体感があります。
音もなく静かに秋がやってきて、朝夕は少しひんやりとした空気な日も増えましたね。

経験上、秋冬は寒さでメンタルにマイナス補正がかかります。
なので、これから来る秋冬をなるべく安定したメンタルで乗り越えるための個人的対策を備忘録として残しておきます。
こんなの初歩的すぎてあくびが出るわ!退屈!という方はご容赦ください。でも基本に立ち返るのって大事だよねの精神です。



【全部冷えのせいだ!とりあえず身体をあたためろ!編】
・肌触りの良くてあたたかいパジャマとルームソックスを用意する
・大きめのブランケット、または肌触りの良い毛布を用意する
・室温を調整する
・ホットアイマスクを使う
・布団に入る

なんか不安だな、落ち着かないなと感じたら、とりあえず上着を羽織って靴下を履くとホッとすることがあります。そんなことで解決する訳がない……と思われるかもしれませんが、解決しなかったら次の手を打てばいいだけなので、とりあえず上着を羽織って靴下を履きましょう。
季節の変わり目は暑くなったり寒くなったり体温調整が難しいですが、のぼせてきたら脱げばいいだけなので、適宜着脱して調整しましょう。



【さみしさは意外となんとかなる!編】
・抱き抱えられるサイズのクッションか抱き枕かぬいぐるみを用意する
・あたたかい飲み物や個包装のちょっとしたお菓子を用意する
・お好みのセルフプレジャーグッズを用意する(※これはかなり人によるので、少しでも嫌だなと感じる人は無理しないでください。自慰は「してもいい、しなくてもいい」の極みなので、あなたの選択を大切にしてください)

さみしい時に抱きしめるのは別に人間じゃなくてもいい!
クッションのおすすめは直径60cmぐらいの、座って胸元に抱えたままスマホや本が触れる、丸くて視界を遮らないようなやつ。でもかわいいやつがいいとか肌触りの良いやつがいいとか色々あるだろうから。何でもいいので自分のお好みで。
あたたかい飲み物や好きなお菓子の力も借りると吉です。ちなみに個包装は無茶食い防止対策です。
セルフプレジャーは本当に人によるのですが、私の場合は肉体的な性欲を解消させたらビックリするほどさっきまで支配されていたさみしさや人恋しさがどうでもよくなったりしたので、ひとつの例として参考までに。グッズを使うのは単なる時短です。



【とにかく不安から気を紛らわそう!編】
・自分の手を当てて身体をさする
・風呂に入る
・好きな香りのハンドクリームやアロマを用意しておく
・波の音や焚き火の音、ヒーリングミュージック、ジャズピアノなどの心が落ち着く系の音楽を流す
・無難なゲーム実況や推しのトーク動画、お気に入りの音楽プレイリスト、もう既に何度も見たことあるアニメなど、何でもいいので音が流れる好きなコンテンツを流す
・無心で手を動かせる簡単なゲームを用意しておく

基本は五感に訴える方向ですね。別に他人になでなでしてもらわなくても、自分で自分をなでなでするのも安心感があって意外と効きます。どんどんセルフハグしよう。
ハンドクリームは手や鼻の下に塗ってもいいし、普段抱き締めてるクッションやぬいぐるみに塗りたくって吸うなどの手段もあります(これは汚れても気にしない人向け)。
風呂は入ると自律神経が整って気分が切り替わることが多いですが、入浴がしんどい状態の人もいるでしょうから、無理はなさらず。

何かしらの音を流しておくと不安でループする思考から気が逸れるので、何かしらの音を流すのも良いかと思います。好きなものを視聴する元気すらない人は波の音とか聞こう。
音楽やSEの種類が豊富でバックグラウンド再生可、設定した時間で自動的に音楽が止まる寝落ちしても安心なタイマー機能もある「ナイトサウンド」というアプリがオススメです。

何も考えずに手を動かすのも落ち着くので、パズルゲームや音ゲーなどをあらかじめスマホに入れておくと便利です。私はGoogle Playストアで適当に探したテ○リスのパチモンみたいなアプリを入れてます。
メンタル死んでて何も出来ないけどソシャゲだけは出来るって時、あるよね……



【最悪の事態を防ごう!編】
・見捨てられ不安をぶつけるLINEを送らない
・出会い系に手を出さない
SNSは入れる情報量を管理しよう

簡単に結論から言うと、メンタルが不安定な時に他者にすがりつこうとすると大抵ロクなことがなく、健全で安全な人間関係が壊れたり逆に不健全で有害な人間関係が生まれたり、どちらにせよ修復が大変(もしくは修復不可能な場合もある)で調子が戻った時に激しく後悔する可能性が高いので、とりあえず見捨てられ不安からの鬼LINEと出会い系はやめておいた方がいいかと思われます(友人と連絡を取ること自体は全く悪くないので、相手との関係性と内容もしくは伝え方を熟慮した方がいいという話です)。
ちなみにこんな偉そうなことを言っている私は、メンタルが不安定な時に出会い系に手を出して友人に叱られる常習犯ですが、本当にロクなことがないので今年の冬こそは足を洗います。
SNSで適度にモヤモヤを吐き出すとスッキリしますが、自分で文字にした負の感情を見てまた負の感情が強化される自家中毒にはお気をつけください。
インターネットはカオスの世界なので、ワードミュートやRT非表示などの機能を駆使して、落ち込みの原因になるような刺激があまり目に入らないようにして自分を労ってください。



【無理せず寝よう】
結局これなんだよな…………調子が悪い時は無理せず寝ましょう。秋の夜長は大人しく寝ましょう。眠れない人は布団に入って電気を消して目を閉じてなんか楽しいことでも頭に思い浮かべてフフフってなりましょう。




【※とっても大事!※】
心療内科や精神科に通院して薬を処方されている方は、医師の指示に従い用法用量を守って適切に服薬してください。
また、上記に挙げたセルフケアは個人の一例であり、全ての精神的不調を解決する訳ではありません。
体調の優れない方は自分だけで頑張らずに、病院やカウンセラー、自治体の相談支援窓口など、福祉や医療の専門機関の助けを借りましょう。

厚生労働省メンタルヘルス相談窓口案内リンク↓】
相談窓口案内|こころの耳:働く人のメンタルヘルスポータルサイト
https://kokoro.mhlw.go.jp/agency/#anc4




今のところこんなものでしょうか。何か思い出したら書き足します。
皆さん、無事に秋冬を乗り越えましょうね。