君の宝石は絶対に割れない

それでも私は生きていく

私のためだけの私の手

昔からずっと、何故か手のひらがあたたかい。

子どもの頃、母が通っていた個人経営の気功療法のセラピストに「この子は才能がある」と言われたほど、私の手のひらはあたたかい。
子育てに疲れ果てた母の肩や背中に手を当てるだけで、あたたかくて気持ちいいとありがたがられ、「○○はマッサージ師になれるよ」とよく言われた。
当時読んでいた漫画の主人公は「太陽の手」と呼ばれるあたたかい手を持ったパン職人で、作中によると手があたたかいとパンを捏ねる時に何か良い作用があるらしい。真偽のほどは不明だ。

私は気を送るとか言われてもよく分からなかったし、自分が接客業に向いてないことは子どもながらに察していたし、別にパンを作りたくもなかったので、そのどれも選ばなかった。今もよく知らない他人の身体にむやみやたらと触れることは恐ろしいと感じるし、調理の仕事は絶対無理だから、そのような職業を選ぶつもりはない。

だが、もったいないなとはずっと思っていた。何もしてなくても手のひらがやたらあたたかいという謎の長所、生かせる場面があったらいいのに。自分の持つ何かしらの力を他者や社会のために役立てないといけない、という固定観念が私にはずっとあった。


最近になって、この「手当て」が自分自身にもすこぶる効くことに気が付いた。私のあたたかい手のひらを自分の身体のどこかに当てると、薄手の服の上からでもじんわりと心地よい熱が伝わり、広がり、不安で荒れていた心が凪いでいく。
どのぐらい効いたかと言うと、メンタルが限界に近かった今日は「手当て」をすることで久しぶりにインナーチャイルドが出現した。あの頃の私が欲しかった言葉をかけてあげる。
「大丈夫だよ、大人になったら安全な場所で暮らせるようになるからね」
ドバッと涙が出てきて自分でもビックリした。心のどこかが少しだけ癒されたことは分かった。


なんか、それでいいんだなと腑に落ちた。別に、私の手を誰かのために役立てる必要はない。私の手は、私自身をケアするためだけに使ったっていいのだ。
私の身体は私のもので、私の手は私のものなんだから。

そう考えたら、自分のあたたかい手のひらが少し誇らしく思えた。