君の宝石は絶対に割れない

それでも私は生きていく

「金星のダンス」はマジの金星の歌であって欲しい――地球に居場所を感じられない子どもたちへ

ナユタン星人さんの「金星のダンス」という曲をご存じだろうか。とりあえず聞いてみて欲しい。

https://youtu.be/fd8uXlrr5is

私は今、この曲にドハマりしている。

なので、「金星のダンス」に対する私なりの解釈と、そこから想起させられる個人的な思い出を記しておこうと思う。



まずは、この曲を聞いた多くの人がイメージするであろう共通の物語を予想しよう。

この曲の主人公は「ゆるやかなスーサイド」=現在の自分からの変革を望み、ホップステップでシャンプせずに「布団でロンリーナイト」=独りで布団に籠る、内気な、あるいは少し厭世観のある、孤独を抱えたひねくれた人物。
「誰もが夜通しダンスダンスダンスでパーリーナイ」してる「隣の星」の「あなた」は、自分とは違う陽気でキラキラした世界で生きる憧れの人。
「金星のダンス」はすなわち、その憧れの人が生きる世界における求愛行動。
一度は金星のきらびやかな世界に夢中になり、金星の流儀に従ってダンスで求愛を示した主人公だったが、一番の最後では一緒に踊るのを相手に断られてしまう。
そこから始まる二番。ぼくにとっては「一回こっきりのシューティングスター」=初めて心を撃たれるのも、あなたにとってはなんとも容易く何度も行われるぐらい日常なんだ。勘違いしてしまった。その恥ずかしさから、恋という偶像に溺れる愚かさに気付いた自分は特別な存在なんだと心を閉ざして、冷笑と全能感に逃げようとする。こんな恥ずかしいことはやめにしたい。傍から見たら可笑しなことをしているんだから。
けど、恥ずかしいけど、やめにしたいけど……やっぱり金星のダンスが踊れたら!
二番の終わりで再び相手にダンスを申し込む主人公は、相手の気まぐれか心変わりか、今度は金星のダンスを共に踊ること承諾される――

そんなストーリーを見出だすことが出来るかもしれない。

「この曲が終われば誰が誰」という歌詞からも、ノリの良いアップテンポなメロディからも、音楽に合わせてクラブで夜通し踊り明かす者たちは、曲が終われば熱に浮かされて見た夢の世界は弾け消え、見知らぬ他人に戻っていくような情景が目に浮かぶようだ。


しかし、この解釈は恋愛至上主義に支配された現代の社会通念において最もスタンダードで安直な解釈のひとつでしかないと私は考えている。この曲に描かれているぼくとあなたの物語を恋愛の暗喩と捉えることは容易い。


でも――私は「金星のダンス」という曲は、何の暗喩でもなくマジでストレートに金星の歌であって欲しいと願っている。


この地球で生きるぐらいなら違う星に行って死んだほうがマシだと漠然と思いながら生きる主人公が、たまたま覗いた望遠鏡から地球の隣の星、金星を見つける。
そこはクラブのように夜な夜な踊り明かす者達で輝いていた。クラブの暗喩が「金星」なのではなく、金星そのものが地球の尺度で見たらクラブのような情景なだけなのだ。
ていうか、このクラブという呼び方も私にはこそばゆい。金星はディスコ。ディスコと呼ばざるを得ないギラギラとした輝きがある。大粒ラメ入りゴールドアイシャドウもジャケット全面に縫い付けられたショッキングピンクのスパンコールも勝てないギラついた光。全ての灯りはミラーボール。金星はディスコのような星なんだ。
金星では、者達がダンスを踊っている。求愛行動の暗喩ではない、恋とか愛とか関係なく、マジで本気のダンスを踊っている。何故ならシンプルに、ただただ踊りたいから。地球側の尺度から見たら難しくて可笑しくて恥ずかしいダンスを、恥ずかしげもなく楽しんでいる。


もしもそんな世界が本当に存在するのなら……最高じゃないか?????
私たちの住む地球ではない、宇宙のどこかにある異星の、異文化に生きる生命体に強く惹かれるこのときめきを「恋愛の暗喩」だなんて私は思いたくない。
だってそんなの、あまりにも人間が世界の中心だと考えすぎている傲慢なんじゃないか。地球に居場所を感じられない者が宇宙の異星に希望を抱くことすら奪うのは、あんまりにも残酷なんじゃないか。



私(筆者)は既にASDと診断されていた子どもの頃、自分は本当は異星人なんじゃないかと心のどこかで思っていた。
当時「発達障害者が自ら(あるいは保護者が発達障害児の子ども)の異質さを『異星人』とユーモラスに例える」というくだりを発達障害関係の書籍でよく見かけた記憶がある。今はどうなのか分からない。その例えは、まだ自我が固まっていない子どもの私が半ば本気で信じて怯えてしまうぐらいには、発達障害当事者の生きる世界を的確に表していた。
私は本当は人間じゃないのかもしれない。だって、人間社会に敷かれている暗黙のルールが全く分からない。人間って自分と違う生き物なんじゃないか。だったらいつかどこかで、私と同じ星の仲間たちが私を迎えに来てくれるんじゃないか。
幼稚な空想だとしても、それが小学生の私にとっては希望だった。宇宙とはどんな世界なのか、図鑑を見て自分で考えて周りの大人を質問責めにしては、エイリアンの絵を何枚も描いていた。


金星のダンスは地球で踊るには難しいし恥ずかしい。可笑しな踊りだと指を差されて笑われる。やめられるものならやめにしたい。
それでもぼくは、金星のダンスを踊りたい。上手に踊れたら、いつかあの星の者達も一緒に踊ってくれるかな。踊らざるを得ないのだ。地球に居場所を感じられないぼくは、あの星を目指すしかない。

私はこの曲から、そんな物語を読み取った。



大人になって、残念ながらどうやら私も人間の端くれらしいと知った。けれどあの頃夢想した無限に広がる大宇宙は、子どもの頃の私を一時でも確かに救ってくれた。
もしかしたら、地球人の持つ物差しだけでは測れないものが宇宙には広がっているかもしれない。それはロマンスと呼ばれるロマンスよりもロマンチックだと感じるし、地球に居場所を感じられない誰かにとって文字通り生きる希望となるかもしれない。



金星のダンスは、いったいどんな踊りなんだろう。まだ見ぬ異星に想いを馳せながら、私は「金星のダンス」を流して部屋で一人踊る。