君の宝石は絶対に割れない

それでも私は生きていく

眠れない夜の記録――アラサーの憂鬱なんて今すぐ世界から消えろ

本当に眠れない夜というのは自分が「眠れない」ことにすら気付けなくて、スマホにかじりついていたらいつの間にか時間が溶けて深夜1時とか2時とかだった。
明日絶対朝寝坊確定だな。まぁ明日は日曜日だし、別に問題はない。月曜に起きれないのは問題なので今日で睡眠リズムを無理矢理整えるぞ。


アラサーの憂鬱とかいう風潮なんて一刻も早くこの世から消えてくれと十代の頃からずっと思ってた。「別にしたくないけどなんとなく恋愛して結婚しなきゃいけないような気がする」焦りなんて意味が分からない。それらを馬鹿馬鹿しいと一蹴していた。
けれどいざ二十代後半に突入してみたら、単純にはね除けられるものではないと知った。ビックリするほど圧を感じる。外圧外圧に次ぐ外圧。
私の場合は「なんか結婚しなきゃいけない気がする」みたいな焦燥感が一切ない代わりに、「これから先の人生、仕事と金をどうしよう」という課題にぶち当たっている。
仕事と金稼ぎ、あまりにも将来性が不透明なまま今の船に乗ってしまって、これで正解なのかとつい悩んでしまうけれど、乗ってしまったからには漕ぎ出すしかなくて、そもそも私はもうこの船に乗るしか人生の突破口がないという非常にどん詰まり状態だったのだから、こうするしかなかった。あとはやるだけやるしかない。
体調管理できなさすぎて前職を辞めたので、体調だけは気を付けたい。こんな夜中にブログ書きながら言うことではない。
アラサーの憂鬱の正体って、二十代前半までに取りかかれなかった(他に優先すべき課題があった等で後回しになっていた)自分の人生の課題が「若くなくなったらどうするの?今よりもっと立場悪くなるよ?」という社会からの脅しで一気に噴出してるんだと思う。
三十歳を過ぎた周りの人は「過ぎてみると大したことなかった」「意外と何とかなった」と口を揃えて言うけれど、意外と何とかならなかった未来の可能性が目の前にそびえ立つ状態で安心しろっていうのもなかなか難しい話だ。


私は若者ではあるが、同時にもういい大人でもあるので、比較的好きだった人から「こんなのまるで『レズ』じゃんww」といったニュアンスの内容で蔑称を使った女性同性愛への揶揄が放言されてショックを受けても、一晩ふて寝したら次の日には傷口はかさぶたになる程度には世の中に慣れた。
でも十代の頃にこれを食らっていたら一生引きずってただろうなと思うと、今を生きるLGBTQユースの人たちの存在がどうしても頭によぎる。今大人でいる者たちには、今子どもや若者でいる人たちを守る責任がある。
今は最近受けた差別には「あぁ、この人もか」とガッカリする程度で済む私だって、思春期に受けた差別は今もしっかり傷口残ってるし超絶根に持ってる。今と未来を生きる子ども・若者を守れる大人になれているんでしょうか。通学電車でいじめらしき場面に遭遇したら声をかけてあとから学校に通報するぐらいは何とかできるししてるけど、果たしてそれで足りているのでしょうか。


鍵垢で現実のセックスの話をしてたら相互フォロワーが表垢ごと減った。私の肉体は現実に生きていて、私の肉体はなかったことにならない。それだけなのに。ままならない。

効かない弱々の眠剤を規定量+1錠飲んだ。危ないので本当はしない方がいいです。真似しないでください。明日、朝起きたくないなぁ。




起きたら消すかも。これもブログっぽいよね。